神明社は、徳島城築城の際に城山東麓にあった神明社が鬼門(北東)の鎮めとして現在の社(常三島)に移りました。
尚、常三島は武知常三(1593没)が蜂須賀家政より賜り開いた武家町です。
現在の地名(常三島)は武知常三の名に由来しているのかもしれません。
明治期には常三島村、後に常三島町でしたが1942年に分割され、北常三島町、中常三島町、南常三島町となりました。
徳島大学常三島キャンパスのという賑やかな場所ですが、鳥居をくぐると凛とした空気と静寂が空間を支配しています。
地域の氏子さんが綺麗に管理されています。
非常に珍しい木製で色の入った狛犬。
【看板記載文より】
神明社の由来
神明社の祭神は昔から城山の頂上に純座していましたが、蜂須賀家政公が
阿波に入国し城の守り神として現在の地に移されました。
家政公は織田信長の姉にあたる稲生姫を伊勢の国から迎え
伊勢の姓を与えてお宮の割当てにしました。
この方は妙音純丘庵といい、そののち代々女性が割当を継承し遊珍混成庵としました。
お宮の建築費等は阿波藩の財政でまかなわれ、歴代の半には江戸の参勤交代前後には
必ずこのお宮に参拝し総敬してまいりました。
こうして明治にいたるまで天照皇太神宮として祀られてきました
明治六年に同じ常三島にあった熊野十二社権現はじめの数社を合祀して現在の神明神社に改められました。
神明神社は常に島の人々にとって産上の氏神様であり鎮守様であります。
住民はお宮をお伊勢さんとか神明さん、と呼んで昔から尊敬してその加護をうけてまいりました。
神明神社の真柏お宮の境内にそびえ立つ高さ六メートル余り周囲二メートル余りの銘木ヒノキ科の常緑樹イブキ、
ヒャクシンンの一種でミヤマヒャクシンといわれて樹齢三百四年 徳島市の指定保存樹木になっています。
末広がりに分かれた枝が先の方で、それぞれを結んだような形になって入ることから縁結びの真柏と呼ばれて、
かたわたの石碑には古い伝説をこめて和歌が刻まれています。
神明に誓って祈る願いなら 縁を結びの 庭の真柏
鎮座地 徳島市中常三島町1丁目31番地
御祭神 天照大神
御神徳 学業成就 交通安全 結婚 安産
御祭礼 元旦祭(1月1日)、大大神楽(4月1日)、夏祭(7月20日)、秋祭(10月11日)