福島小学校(南側)の交差点に静かに鎮座するお堂があります。
小さなお堂で住宅側に入口があるので、思わず見過ごしてしまいます。
写真右側が福島小学校の南面道路になります。
このような物語が残されています。
阿波の怪談(横山春陽 編)より
【殺された山伏が迷うて出る】
そのむかし。
福島の南屋敷には中村という組士の屋敷があった。
主人が十二月松ごろが外出から帰ってみると、玄関に一人の山伏が立っていた。
ちょうど明日、母の命日を思い出し、「どうが一泊でもして、母の供養をしてもらえないか」と頼んでみたところ、山伏は快く承知してくれた。
その夜のこと、例の山伏が何と思ったか、たくさんの小判を懐から取り出して一枚二枚と数え出したのである。
その金属製の音が中村の部屋まで聞こえてくるではないか。
中村は場内の御納戸係※1をしていて、金を少し使い込んだ矢先であった。
つい、いたたまれず山伏の部屋に行って「少し金をかしてほしい」といった
ところが山伏ば首を振って「本山に奉納する金なので貸すわけにはいかない」と断ったのである。
中村は、その晩どうしても眠れなかった。小判が目先にちらついて仕方がない。ついに金の誘惑に勝てなかった。最後の手段として山伏を殺してしまったのである。
それからは、毎晩毎夜、屋敷の南東に、火の玉とともに山伏の姿が現れるよになった。このことが露見して、中村は免職追放となった。
その後、山伏の墓をたてて霊をとむらった。それ以来、火の玉は出なくなったといわれる。
※1おなんどやく【御納戸役】
江戸幕府の職名。将軍家の金銀・衣服・調度の出納、大名・旗本からの献上品、諸役人への下賜の金品の管理などをつかさどる。若年寄の支配に属す。納戸方。納戸役。また、諸大名にもこの職名の役があった。
このお堂は、無残に殺された山伏の霊を鎮めるために建てられました。
付近の人々には「山伏さん」と呼び、大切に祀られています。
写真右奥に「山伏之塚」と記した石碑が立っています。
お賽銭をし、鎮魂をお祈りしました。