静かな流れを湛える助任川。
真夏なのに凛とした雰囲気を感じるのは、この史実をしっているからでしょうか。
橋の中央部にある旧橋脚。
そこを、避けるよに造られた歩道橋。
そこには、橋の云われの記された看板。
【人柱伝説】ふるさと徳島より
旧福島橋には、往時橋普請に伴い六部(一説には山伏ともまた遍路ともいう)を埋めたという伝説がある。
寛永の昔、市中と福祉・沖洲を結ぶ福島橋は、藩にとっても住民にとっても重要な交通手段であったが、
架けられた橋も洪水などで壊され、渡船に頼ったりしていた。
架橋の必要にせまられても難工事は必至であった。
ある時だれともなく「工事に取りかかる日の夜の亥の刻、ここを通る人を人柱にしようではないか」
という話持ち上がった。かくして工事が始まり、人柱の準備が着々と進みやがて刻限となった。
折しも通りがたったのが、鉦を叩き題目を唱える六部で、犠牲を懇願する事態に至った。
六部は事の重大さを思い、犠牲となって棺に入り、その夜から49日間鉦を打ち鳴らしたという。
やがて橋は立派に完成し、交通の障害は取り除かれた。
この伝説は今も渭東の人々の間に伝承されている。
寺や橋などの大工事、難工事が予想される場合、応々にしてこの人柱伝説が付け加わってくる。
しかも人柱になる人物は最初に通りかかった者、特別な霊能を持つ者などに特定されることが多いことから、
一種の呪術として、当時の人々の心情に合致したのであろう。
年表も記載されています。
この伝説を知らなかった私、工事中迂回路があったり変な工事だな~と思ってました>
周辺には「阿波の踊り子」のロケ地があり、碑文が立っています。
1941年4月にロケが敢行され、その際に空前の群衆に何度も撮影が中止になったそう。
阿波の踊り子についてはWikipediaで
そして、川沿いに遊歩道が続いています。
歩道を歩いていると。
供養の碑石が建てられていました。
(福島橋にかからわる諸霊位と記されています。)I
花が供えられ、清められています。
手を合わせました。
そして、さらに歩くこと3分
タコチュー公園。
電話ボックス、凄く久しぶりに見ました。
【碑文】
福島橋は今からおおよそ三百年前、六人のかたがたが「」のため人のため犠牲となってかけらたものです。
そのためか、後世に様々な異変が続き、数多くのかけがえのい人命が失われ、流域住民の心痛は絶えることがありません
このたび私達は、日本古来の慣習にのっとり、架橋に命を捧げられた六柱の霊の御冥福を祈り、災難にあわれた方々のご供養のため、この慰霊塔を建立しました。
どうか今後、事故災厄のないよう、地域の平穏と発展を心から祈念する次第です。
昭和六十一年 5月吉日 発起人一同
深く一礼をし供養の祈りを捧げました。
が、、、、
財布を持っていない,,,,,,!(泣)
近場ですので、財布なしで移動してました。
キレイに管理して頂いている方がいらっしゃいます。
色んな費用もかかると思います。
近いうちに必ず再訪し御賽銭させて頂きます!!
周囲は穏やかで、散歩するのに丁度いい遊歩道が続きます。
絵になる木陰、ベンチ、可愛い花!
散歩やジョギングで通った際は、ぜひ手を合わせて下さい。
夏ソラとハナ!
ただ、蝉の音が響きます。