【秘密が解明される!】君たちはどう生きるか

君たちはどう生きるのか

謎が謎を呼ぶ、考えるどに不可解!
そんな宮崎駿監督作品「君たちはどう生きるのか」2回目を視聴してきました。
初回上映から約1ヶ月くらい経ち、シネコンでも小さめも箱での上映です。

『この記事はネタバレがありますのでご注意ください。』

ついに8月11日にパンフレットも発売されました。
ただ、それまでのジブリ作品のパンフレットとは異なり、圧倒的にテキスト量が少なく劇中のカットに多くのページ数が割かれていました。
このパンフレット、、、一体、、、、

パンフレットはインタビューなどの掲載も無く、宮崎駿監督の企画覚書2ページ、イメージボード2ページ、作品解説1ページ、エンドロール2ページ、他は映画のカットとう内容でした。
まー無いよりはマシではありますが、、、、
もっと、こう色々と期待していただけに期待を裏切られた感はあります。

映画のシーンが大きく掲載されているので、映画感での感情を感覚的に思い出させてくれるツールではあります。※こいう記事を書くのには助かりますが・・・・。

【突飛なサウンドデザインで不安を煽る演出が秀逸】

今回は小さな箱での視聴となりましたが、初回URTILA大迫力スクリーンで観た時には分からなかったサウンドデザインに気がつきました。

『序盤ではかなりの部分で低音が使われています。』

静かなシーンでも低音が鳴り続けておりそれが長い。
通常の映画では、爆発音や激しい音の移動があった際に低音(ウーハー)を使い音のリアリティを増すという手法が使われますが本作では効果音やBGMがほとんど無いシーンでそれが使われています。

これが、非常に不気味でアンバランス。
画面は落ち着いたシーンなのに、低音は回っている!?
こうなれば、その音は不安定極まりない不協和音です。
低音(指向性も無く効果音でも無い)だけに明確に怖いのではなく、なんだか分からないが怖い感が見事に表現されていました。
そして、主人公(眞人)が『君たちはどう生きるか』を呼んだ後はこの演出は使われなくなります。

2回目視聴では、音の演出に圧倒されました。
※1回目はストーリーを追うので手一杯でそんなの考える余裕は無かったです。

【壮大な遺言を観る】

作家の事を知り過ぎているからなのか2回目を見ても、この映画が遺言のように見えました。
家が軍事工場それでご飯を食べている設定はリアルな宮崎駿監督とダブりました。
また、母親の事。
天空の城ラピュタでは豪快な女海賊ドーラ、崖の上のポニョでは不愛想で口の悪いトキさん、宮崎駿監督は作品中自身の母をキャラクターに描いています。
ジブリのドキュメントでは、ポニョを書いている時なんかは母親の事を言いながら絵コンテ書いて泣いていました。

そして、本作では主人公(眞人)は紛れもなく母を探しに生と死の世界へ向かいます。

「序盤で自分の事を描いてないか、コレ!?」と思わずにはいられませんでした。

怒涛の過去セルフオマージュ!これ何処かで観た!!

作中には宮崎駿監督が過去の作品で描いたようなカットがゴージャスに登場。
これを別の人がやれば単なるパクリでつまらないとなりますが、、、
本人がこれをやる事に意味があるという事に後に気づく事となります。

他にも色々ありますが、過去作の素晴らしかったシーン。
風を感じ、湯気の熱気を感じ、茫漠とした海を走る電車のイメージ。
それらがメリーゴーランドのように次々と繰り広げられていきます。
これは、素晴らしいの一言!!

ですが、ワクワク感が無い!?
ラピュタでパズーやシータと一緒にした冒険!
千と千尋の神隠しで見た不思議な世界。
ルパン三世カリオストロの城で見た何でもありのカーチェイス。
魔女の宅急便でキキが旅立つ時も飛行シーン。
未来少年コナンの対ギガント戦。

あの、なんともスカッとする感じじゃなく、終始影がつきまといます。
もちろん凄いシーンも連続と魅力的なキャラクターが存在する映画である事は間違いありませんが、何故かモノクロームに見えてしまう。

映画が哲学的要素をグッと見て取れるように、大っぴらに出しているからそう見えるのかもしれません。
一見複雑に見える物語ですがエンタメのために、物語を複層構造にして真意をうまく隠すというよりは、表現したい事をそのまま表現していて宮崎駿監督の思考その物が映し出されているからそう感じたのかもしれません。

これは、誰に対するメッセージなのか?

物語の終盤に登場する、大叔父。
観客を見据えて、語るのですが!
筆者にとっては、宮崎駿監自身にしか見えませんでした。

しかし、公開同年の8月に発売されたSWITCHのインタビューで鈴木敏夫は次のように答えています。

モデルは高畑勲監督!?

さらに、キリコはジブリで色設計をしていた保田道代さんであると。

他のキャラクターもそうだろうと鈴木敏夫プロデューサーはインタビューに答えています。

そして、高畑勲監督、保田道代さん共に他界されており、追悼の意味もあるだろうと補足されていました。

中盤以降、スタジオジブリ物語じゃないですか。

『世界の秩序を守ために、積み木を積む』

劇中では、大叔父が世界のバランスを保つ為に積み木を積むという役目を負っており、それを次世代の者に継承しようとします。

ただ、それは思いがけない偶然(必然?)の事故により破綻します。

大叔父は『血縁者のみこの役目を継ぐことが出来る』というような事を観客に向かって語りかけましたが、、、、

スタジオジブリに在籍したアニメーター達に向けて語っていたのではないかと思います。

それは、スタジオポノックであったり宮崎吾郎監督、庵野秀明監督、ほか多数のジブリ関係者、ジブリ作品のファンへの遺言のよでした。

セルフオマージュとでも言うべき、ジブリらしいシーンを幾重にも出したのは、このシーンにより実に重要な意味を持ってきます。
要はジブリの過去と向き合って(引き合いに出し)、「君たちはどう生きるか」を問うているように思えました。

再生の物語(物語の二重性)

だから、だから、快活なシーンさえモノクロームに見えた。
作品には常に死の匂いが付きまとっているし、主人公の一人称になって没入して楽しむとというよりは俯瞰で観るように描かれている。

だから、冒険活劇的なシーンでも爽快感が味わえなかった事に気づきました。

いい意味で、息ぐるしささえ覚えました。
そして、この物語を宮崎駿監督の人生と遺言のように感じてしまいました。

それは、スタジオジブリ、人間、動物の生と死。

ただ、その先に光をちゃんと描いてくれている事にも感謝したいです。

そして、少年は日常に戻っていく。
ここでの事はいつか記憶から消えてしまうけれど、、、
『実は僕達も記憶を無くしているだけで、そんな風な事があったかもしません』
そして、新しい日々は続いていく!

映画を終わって、こんな事を書いている最中も何度もこの映画の事を考えてしまう。

まさに、今までとは一味違う傑作映画です。

 

 

 

 

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